どうしても辛いから文字にして消化する



涙が出ることを心の異変だと捉えるなら、たぶんわたしは今おかしいんだと思う。
ホルモンバランスのせいで頭がいかれていると思い込もうとしていた時もあったけれど、どうにもそうはいかなさそうだから、自分の心を整理するためにも、だいすきな文字で表してみる。



わたしは、友達に好きなタイプを聞かれた時に、好きでいてくれる人と答えるタイプだった。今もそう。好きでいてくれる人が好き。だって、ひとりじゃ生きられないから。

ひとりが好きだ。それなりに好きだと思う。でも、ひとりは寂しい。寂しくて苦しくなる。



友達に頼る方法が未だにわからずにいる。頼られたら迷惑じゃないかってそんなことを考えるんじゃなくて、弱い自分を見せるのがただ嫌なだけだ。だから、顔も知らないネットの誰かには呟けることも友達には言えなくなってしまう。



わたしは、誰といるかで性格がガラリと変わってしまうタイプだと思う。それは、今その状況で求められている人物になろうとするから。
こんなことでクヨクヨしている自分は、好きじゃない。だから、誰にも見せたくない。ひとりで頑張ってどうにかしたい。
泣いているところを見られるのはとても苦手だ。泣くという行為自体が得意じゃない。


だって、泣くのは卑怯だと思うから。


泣いていると、いつも思う。本当に苦しいから泣いているのか、それとも自分が可愛くて泣いて浸っているのか。どっちなのか、わたしはきっと後者なんだ、弱くないのに弱い振りをしている、とそう思ってしまう。



わたしはとても強い人間でいたい。それが好きな自分だから。実際わたしは強いから。誰よりも強いから。弱い心なんて持ち合わせたくない。どんなことでも、頑張れる人でありたい。だから、泣いている自分が嫌いだ。今の自分が、嫌いだ。大嫌い。



誰かに好かれていないと、不安で仕方なくなる。だから、ずっと誰かに好かれようとしている。わかりやすいのが、彼氏だと思う。


モテると言われたことがあるけれど、それは全く違う。わたしは、モテるんじゃなくて、ただ誰かに好かれていないと生きていけないだけ。だから、好かれる努力を誰よりもしているだけ。好いてくれるかもしれない人を見逃していないだけ。



友達はいつも不安定で怖い。何もしていないのに急にのけものにされることだってあるかもしれないし、急に嫌われることだってきっとある。あると思ってわたしは生きている。ずっとそう思って生きている。

だから、彼氏に依存してしまう。友達になる時に友達になろうねとは言わないけれど、彼氏彼女になる時には付き合おうという言葉がないとなれない。だから、安心する。その言葉があるから、安心してしまう。ああ、大丈夫。好かれているって、間違った安心感に浸ってしまう。



わたしはいじめられっ子の気持ちはわからないけれど、いじめっ子の気持ちは分かる。虐められるのが怖いから、虐める。本当によくわかる。いじめっ子は精神が不安定で頭のおかしい子だと聞いたことがある。わたしは、ずっと、きっと、不安定なまま大人になってしまった。だから、今もきっと泣いている。



好かれている自信がなくなってしまった。実際、好かれていないんだと思う。彼氏に好かれている、という前提条件で心の均衡を保っていたのに、それがなくなってしまったら、わたしはどうしたらいいのかわからなくなってしまう。


頭ではちゃんとわかってる。好かれていないわけじゃない。嫌われてるわけじゃない。今はきっと自分のことでいっぱいいっぱいだから、わたしのことまで気が回らないんだって、頭ではわかってる。でも、心がずっと苦しくて痛い。



いつまで待てばいいのかわからない。
待ったところでまた好きだと言われるのかわからない。
どうしたらよかったのかわからない。
何を間違えたのかわからない。



趣味を増やせば大丈夫だよ、と言われた。けれど、それじゃあ時間稼ぎにしかならないと思う。時間稼ぎは苦しい。楽しい振りをして見て見ぬふりをして、そうやって時間を使って、また苦しくなる。ずっと自分の首を締めているだけだと思う。


間違ってないよ、と言われた。わたしもそう思う。こうやって相手のことを思って行動したことは、何も間違っていないと思う。だけど、相手にとっての正しいことが必ずしもわたしにとっての正しいことだとは、限らないと思う。だって、どうしたってわたしは今苦しいのだから。その事実は紛れもない真実だから。



最近はずっと苦しい。向き合うことが怖くて、傷付けることが怖くて、逃げてしまったあの日も、逃げたところで結局同じくらい苦しくなってしまっている今日も、ずっとだ。


ひとりで生きられるようになりたい。誰に好かれていなくても平気な人になりたい。なりたいよ、ずっとなりたくて仕方がないよ。



メンヘラ 治し方 で検索をかけるくらいには、もうだいぶ滅入ってしまっている。精神科に行かないと治らないという記事を見て行くしかないのか、と思い立つくらいまでは心がおかしくなっている。


頭と心がずっとバラバラだ。正しいよと頭はずっとわたしを褒めるけど、心はその度に傷付いてしまう。正しいことはわかってるよ。でも、わたしはわたしの気持ちを無視して正しいことをしただけだ。諦めてしまっただけだ。諦めるしかないと思ったから、諦めただけだ。自分の気持ちを大切にすることを、諦めただけだ。



文字にするとやっぱり頭がスッキリするなあ、と今かきなぐりが終わって思っている。基本的にハッピーに毎日を過ごしているタイプだから、こんなにどんよりしているのは珍しいなあとどこか他人事の自分は思っているけれど、そんなふうにぼんやりしていると、なんだか本当に心が消えてしまいそうで怖い。いつか本当に心が冷たく凍ってしまいそうで怖い。我慢することに慣れてしまっているから、だから、なんだか怖くなる。この痛みに慣れる日がいつか来ることが怖い。



こんなに長々と書いたけれど、この文章はたった数文でカタがつくようなものだ。
だから、最後にまとめる。

メンヘラ地雷女がただただメンヘラを拗らせているだけです。きっとほっとけばどうにかなる。大丈夫。だって強いし、わたし。



以上。終わり。



廃人オタクが教育実習に行ってみた話


長い長い長い長い教育実習が終わった、ということで、この気持ちをどうにか残しておかなければならない、と思い立ったオタクな私は、オタクっぽくはてなブログにこのことを書き連ねていこうと思う。



ただ、教育実習というのは、守秘義務があるわけだし、もちろん多くは語れない。(生徒のこと、学校のこと、語ることは全部NG)

そのため、深くは書けない部分も多数あるが、それでも良いのだ。書きたいから。書かなきゃやってられねえ。





最初に、私よ、お疲れ様!!!!!!!!!


教育実習中、私は幾度となくやらかした。もうこれ以上なくやらかした。思い出すだけで泣ける。

この私のやらかしを読んで、これから教育実習に行くオタクたち、オタクじゃない人たち、みんなが元気になってくれれば良いと思う。





ということで、まず、お前誰やねんって言うところを説明していなかったので、説明していく。



私は、所謂、DDである。ダンシングダイナマイトではなく、誰でも大好き、ということ。(ジャニオタしか伝わらない気がしてきた)


好きなアイドルは、もちろんジャニーズ、そしてK-POP、他にも多数、もう全方位にオタクをしている。

ただ、私の主戦場(戦場????)はアイドルではなく、俳優さん。まあ、この際どうでもいい。



とにかく、好きなものが多いんだ。もう何でも好き。顔が良ければなんでも好き。ドンと来い。おら、来い。





教育実習中の私は、推しのYouTubeの更新は追えないし、テレビも追えないし、もう散々だった。

生きていくための養分を吸い取られた植物のように枯れていくんではないかと幾度となく思った。実際は枯れなかったが。




と、こんな感じで、脳内の殆どを推しに捧げている私がどう教育実習を乗りきったか。それを詳しく書いていこうと思う。

はじめに。教育実習を通じて、私がやらかしたことを2つに纏めてみる。





その1〈教育実習の事前の打ち合わせをあろうことか失念する〉


死んだと思った。本当に、人生の終わりを感じた。なんで忘れていたのか?単純に確認ミスだ。
最初の日程から2度変更になっていたのにも関わらず、2度目の変更を失念していた。
思い出すだけで心臓が止まりそうになる。もうあのような電話は出たくない。無理。


と、ここまでだとやらかしただけなのだが、オタクな私はその時何をしていたかというと、配信限定ライブの待機をしていた。
このご時世、某ジャニーズ事務所(某いらなくない?)が配信ライブを多数行ってくれていた。

オタクな私はもちろん買った。そして、3時から始まるライブに備えて、パソコンの前に待機していた。もうワクワクだ。ワクワクしかない。






と、そんな幸せ絶頂の私にかかってきたのが1本の電話。

「打ち合わせ今日ですけど」


もう、ライブどころじゃない、と思うだろう。
しかし、私は馬鹿だ。初めに伝え忘れていたが馬鹿だ。

勿論死んだと思ったのは確かだし、どうして忘れていたのか自分を責めたてた。
責めたてたが、責め立てようがライブは始まるしライブは見なきゃいけない。


普通に楽しんで見た。


推しは今日も素晴らしかった。ライブのセトリは最高だった。私は最悪だが。




結局、後日時間を作って頂き、誠心誠意謝り、なんとか実習生として受け入れてもらうことができた。

こればっかりは、本当に学校が優しかった。凄まじく優しかった。
正直、断られるかもしれない、いや、断られると思っていたから、もう、学校に足を向けて寝られない。寝るけど。







その2〈シャチハタを間違えて使用する〉


教育実習には、毎日記録用の日誌が存在する。これは大学ごとに異なると思うのだが、私の日誌はハンコを押すポイントが多くあった。
そして、その部分に私はあろう事かシャチハタで印鑑を押したわけだ。

はい、アウトです。泣いた。本当に泣いた。気づいた時には最悪だと思った。どうして誰も教えてくれないの、と思った。教えてくれるわけない。



結局、私は訂正印を押し、正しい印鑑を隣に押す、という作業に追われ、最終的には5個のハンコで良いところに15個のハンコを押す羽目になった。

泣いた。自分の馬鹿さに泣いた。今でも泣ける。

(ちなみに担当の先生は、私のハンコ欄を見て笑っていた。笑うしかないレベルのやらかしのため、もう笑われるしかない。しんどい。)







以上が大きな私のやらかしだ。正直、あげていけばキリがないが、自分の精神を疲労していく気がしてならない為、大きなやらかしのふたつを上げさせてもらった。

1つ目は本当にやらかしというか、頭が悪すぎるというか、今すぐに実習を辞めなければいけないレベルのものだ。

本当に学校には頭が上がらない。謝っても謝り足らないし、感謝してもし足りない。こんな私を受け入れてくれる学校。ビバ学校。最高。You最高だよ。




もし、この先実習を行う人がいたら、自信を持って欲しい。
私ほどのやらかしをする人は多分なかなかいない。こんなやらかした私でもなんとか教育実習を終えることが出来たのだから、これを読んでいる人はみんな出来る。


安心して欲しい。大丈夫。貴方は大丈夫。







つぎに。教育実習に行くまでに用意したものについて纏めてみる。

これはまあ、オタクだろうがオタクじゃなかろうが同じだ。

ちなみに、先程書いたように私は馬鹿だが、馬鹿なことを理解している。そして、一言で表すのであれば、「要領のいい馬鹿」だ。


実習中は家に帰れない、寝れない、大変。そんなことを一応耳にしていたので、私は始まる前に決意していた。




死ぬほど準備して、やることないっていうくらいにしてやる。




では、具体的に何の準備をしたか、というと。



⑴ 授業プリント15枚分
⑵ ⑴の指導案の細案すべて(細案→略案にするのは簡単だと思ったため、すべて細案で用意)
⑶ 何となくの板書案



などなど。授業に関することは全て用意した。

後で困りたくないから先にやっておこう、と全て用意した。これが本当に役立った。これをやっていなかったら、と思うと末恐ろしい。考えたくない。


この3つを予め用意したことによって、実習期間、余裕が出来た。

実習生、というと忙しすぎて部活は見に行けない、という話をたまに聞くが、私は準備をそれなりにしておいたおかげで部活は活動のうちの半分見に行ったし、楽しい時間を過ごせた。過去の自分、最高。ありがとう。




そして、この3つを用意してもう1つ良かったことがある。
それが、1時間受け持ちのクラスで好きなことをしていいよ、と言われたことに繋がってくる。



好きなこと。していいよ。いや、なにを。



正直困ったが、折角、教育実習に来たのだから、担当クラスと仲良くなりたい、という思いはあった。仲が良いに越したことはない。良くなって損は無い。


この時点で、私と生徒の関わりといえば、初めの挨拶くらいなもので、みな、「お前誰や?」状態だったと思う。
だからこそ、このもらった1時間を有意義に使わないと、と思った。




と、ここまでは準備をしてようとしてまいと考えることだと思う。
しかし、ここで授業準備を事前にしていない人はどうなるかというと、授業の準備が終わっていないのに、生徒と楽しく1時間なにかするための案を考えられないのだ。



指導案のような堅苦しいものはいらないから、自由にやりな。私は1時間職員室に居るから。



そんなふうに任せて貰えても、正直考える暇なんてない。
実習生仲間は、同じように時間を貰っていたが、結局自習にしてしまった、という話や、質問ありますか?と聞いてみたが中々出てこず時間が余った、など聞いた。

そりゃそうだ。いきなり教壇に立ち、何かやって、なんて無茶だ。

自己紹介や面白話にも限度があるし、1時間、面白い話を1人で出来るのであれば、教師よりも芸人が向いていると思う。やり直せ。



つまり、私は準備をしていたお陰で、生徒と何をして遊ぶのか(え?)熟考に熟考を重ねられた。この時間は本当に大事だった。これでぐっと生徒たちと仲良くなれた。



ちなみにだが、私は好きなことしていいよ、と先生から言われる前に、つまり、実習が始まった瞬間に



「今週の○曜日の○限が普通の授業ではなくクラスでの総合的なものだと思うんですが、この時間は何をしますか?」



と聞いた。前日に言われても準備出来ないこともあると思ったので、早めの確認はとても大切。
他の実習生たちは前日に明日好きな事どうぞ、と言われていた。

そんなの無理だよ!とみんな嘆いていた。やはり、報連相は大事。この場合は報連相じゃない気がするけど。


先生方は本当に忙しい。正直私らに構ってる暇はない。
今後の予定でもしかしたらこれ私に振られるんじゃ?と思う謎な部分(クラスでの総合的なやつだ)は、先に聞いておくに越したことはない。


聞け。絶対聞けよ。聞かなければ先生方は平気でその日の朝とかに言ってくるぞ。だって忙しいから。

これは責めることじゃない。聞いていなかった自分が悪いのだ。そう思った方がいい。






で、少し前に戻るのだが。クラスで好きなことをしていいと言われた。
その時、楽しくゲームをしたとしても生徒一人一人のことは知れないじゃないか、と私は思った。

仲良くなるにはその人のことを知る必要がある。たかが数週間の実習生が生徒のパーソナルな部分を知ることは不可能だと思うが、知る努力はした方がいい。



よし、じゃあ、一人一人と話す時間はないから、一人一人にコメントを返そう!



と、こんな鬼畜なことを私は思い立った。結構鬼畜。

生徒たちにはお遊びの際の感想を書いてもらう紙を配布し、そこに感想以外も書いていいよ、と伝えた。


私に聞きたいことがもしあるなら、書いていいし、自分の推しの話(好きなアイドルのプレゼン、好きな漫画のプレゼン)でもいい。

とにかく何か書いて欲しい、と言った。そして、私は1クラス分のそれに全て返信した。結構な長文で返信した。




で、なんで長文で返信できたのか、ということをお話したいのだが、ここで準備していて余裕があったことと、オタクでよかった部分が出てくる。

前述した際には言わなかったが、私は2次元も齧っている。本当に全方位の廃人オタクだ。これは自信を持って言える。

だからこそ、生徒がどんな好きなもののプレゼンをしてこようと、結構な熱量で返せる自信があった。だってオタクだもん。




結果的に生徒の好きなアイドルや漫画、バンド全てにかなりの熱量で返した。知らないバンドだったら、ちゃんと調べて聞いた。オススメの曲が書いてあったら、ちゃんと全て聞いて、その中で印象に残ったものを返信した。



これが本当に良かった。これにより、生徒たちと私、という関係ではなく、生徒ひとりひとりと私、という関係になれた。

このお陰で、コロナの影響によって実習期間の短縮や様々な制限があったにもかかわらず、生徒たちと沢山話したり、相談を受けたり、っていう関係性になれた。良かった。本当に良かった。


私自身は、あまり愛想がないし、正直仲良くなれないと思っていたため、オタクである自分に拍手喝采だった。スタンディングオベーション

オタクは年齢も超えるし、性別も超える。オタクであれば誰とでも仲良くなれる。オタクって素晴らしいよ、本当。





そんなこんなで、まあクラスともそれなりに打ち解け、私は最終的に寄せ書きを貰うレベルまで成長していた。



いや、教育実習行ったらみんな貰えないか?そういうやつ貰えるっしょ?



と思う人もいるかもしれない。しかし、今回一緒に行った教育実習生たちは、貰っている人と貰っていない人とがおり、分類すると、私よりも長い期間実習している人はみな貰っていた。
そして、私と同じ期間実習している人はみな貰っていなかった。


つまり、だ。お前の当たったクラスがたまたま良かっただけだろ、と言われればそれまでで、クラスのみなに助けられた部分は大いにあるのだが、一応この事実だけを見てみると、こうも思える。



同じ期間、実習していた先生に比べて、担当クラスと仲良しになれた。



本当に嬉しい。ちなみに、私は大学がそこまで賢い場所ではなく、他の実習生は私のはるか上の大学ばかりだった。

実習が始まった瞬間から、負け組だ。他の実習生と比べて頭が悪いんだから最悪だ。


しかし、教師は、勉強を教えることはもちろんのこと、生徒の心の成長にも関わらなければいけない。

勉強に関しては、今日明日で飛躍的に賢くなることは不可能じゃないか、と思ったため、私は後者を頑張った、というわけだ。頑張った甲斐があった。本当に良かった。




実習に行く前は、嫌で嫌で仕方がなかったし、初めにやらかしていることもあって、もうこれ以上の失敗は許されない、とガチガチに緊張していた。

しかし、いざ始まってみると案外楽しいし、帰ろうと思った時間から延長した日は1日しか無かった。(研究授業の前の日はさすがに延長した)


やはり、準備する者は勝つわけだ。準備って大事。








そして、ここはあまり詳しく書けない部分になるんだが、担当の先生について書きたいと思う。

先生も十人十色。色々な人がいる。私の担当をしてくださった先生は、かなりの放任主義だった。

教科担任とクラス担任と2人の担当の先生がいたのだが、どちらも他の実習生についている担当の先生に比べて放任主義





例えば、クラス担任の先生について。

私は、1週目の確か3日目辺りから1人で朝の会を行っていた。学校によっては当たり前のことかもしれないが、私の学校では私くらいだった。

詳しく言うと、3日目から1人で前に立って話すというか、クラス自体に1人で向かっていた。
何が言いたいかと言うと、もはや着いてきてくれない、ということだ。


他の実習生は後ろで先生が実習生の朝の会を見守っていて、連絡事項に漏れがあれば補足するし、という感じなのだが、私は3日目から1人。間違えたら終わり。誰も訂正してくれない。




ここで多くの人は「どうしよう、1人無理だよ」と考えると思う。
しかし、私はどうにかなるさ、寧ろ誰も見張られてないや、みたいな感覚だった。

本当にイカれてる。自分でも思う。でも仕方ない。そう思ったんだもの。

先生が放任主義であったお陰で私は伸び伸びと朝の会を行うことができ、伸び伸びと生徒たちと関わることが出来た。




朝から「先生、おはようございます!あ、昨日のMV公開見ましたか?」のような会話もできる。だって見張られてないもん。やり放題。


(一応、教育実習生の立場なことは分かっていたから、教壇に立ってそんなことは話さないし、わざわざ生徒のところに行って混ざってとかは話してないが、前の方の席の子とは世間話の流れでそういう話もしていた。楽しい。)

(ちなみに、もうおわかりかと思うが帰りの会も1人でやっていた。先生はいない。全部1人。教室の鍵閉めまでが私の仕事だった。教室にちょっと残っている生徒たちと話せたりして楽しかった。)







次に教科の先生について。

教科の先生も、これまた放任主義だった。私は授業の前に打ち合わせ、というものをしていなかった。ぶっつけ本番。

さすがに研究授業は行ったが、その他は指導案を提出した際に一通り目を通していただき、はい了解しました、みたいな感じ。

ちなみに、他の実習生は無茶苦茶打ち合わせしていた。

授業の間の空き時間にいそいそとどこかへ行く実習生に「どこ行くの?空きって言ってなかった?」と聞くと大体「今から打ち合わせなの!」と返された。




打ち合わせとは。はて。なんだそれ。やってない。



っていう状態は私だけ。えらく放任主義

まあ、私の性格上、放任されても特に何も思わないタイプだったため良かったが、不安になってしまう人もいる気がする。


そのため、担当の先生も色々で世話を焼いてくれる人もいたり、私のように放任主義の先生もいる、ということを頭に入れてこれから教育実習を行う人は臨んでほしい。


どっちになるかはわからない。運だ。どっちがいいかは人それぞれだと思うから、もしこれから行くのであれば、望んだタイプの先生と当たれることを願っている。







そして、授業の内容に関して、だが。これはもうボロボロだ。無理。結構頑張ったとしても、もう到底及ばない。教師って仕事の大変さがわかる。

私のような馬鹿なへっぽこがたった数週間準備したところで無理なのだ。
まあ、数週間準備して完璧な授業が出来たら、商売上がったりになってしまうから当たり前なのだけど。


だから、授業がうまく出来なかったからといって凹まないで欲しい。
もちろん反省は必要だが、落ち込まないで。私の方が下手くそだから大丈夫だよ。伝えようとする心が大事。










では、最後に。教育実習で必要なことを纏めたい。




① 先生方は貴重な時間を割いて私たちに教師の仕事を教えてくれている、ということを忘れない。

(なんだコイツ、ふざけるな、と思う担当の先生とあたる人もいるかもしれない。私は本当に恵まれて、先生からの大きなストレスみたいなものはないに等しかった。なかった。

先生の中には有り得ないほど怒りをぶつけてくる人もいると思うし、そういう人に関しては①の事なんか思わなくても良いのかもしれないが、それ以外のいい先生にあたった場合は、①を肝に銘じて色んなことを吸収できるように努める必要がある。


というか、先生たちに気持ちよく指導してもらうために、常に下から下から、という精神が必要。面倒な衝突はしたくない。下から下から。大事。)







② 準備はしすぎるくらいしろ。

(して損は無い。しすぎるくらいで丁度いい。あわよくば私のように指導案も書いておけば、少し直すだけで提出できるし、定時退社も夢じゃないと思う。)







③ 折角行くのだから楽しめ。

(嫌だ嫌だと言っても時間は過ぎるし行かないといけない。どうせ行くなら楽しんだ方がいい。

私は楽しむためにオタクである自分を生徒たちに開示した。私が心を開かなければ、生徒たちと仲良くなれるはずがない。

言ってしまえば、もう二度と多分会わない人が多数なわけで、少し秘密にしていたオタクなことが彼らにバレようと今後の人生に支障はないと思う。そんな強気な姿勢で私は過ごした。)







以上の3点。これが私からこれから実習に行く人へのアドバイスだ。

特に②は、本当に必要。②がなければ、余裕がなくて生徒と仲良くなることなんか考えてられないし、部活を見に行く時間もない。

どうせ行くなら、最大限に教育実習を楽しみたい。経験したい。だってどうせ行くなら。どうせ行くんだから、仕方ない。腹を括れ。





オタクで馬鹿でどうしようもない私が教育実習に行った話。特にオチはないし面白くもない。
ただやらかしても楽しくなんとか終われたよ、ということを今やらかして悩んでいる人に伝えたかった。大丈夫。なんとかなる。





あ、オタクで教育実習に行く人。

教壇ではオタクの話をしないでおこうな。


これはなんとなく私が決めたルールだが、大事だと思う。
親しみやすいキャラクターは必要だが、教壇はやっぱりまた別の場所だ。

生徒と1体1のときに生徒に合わせたオタクの話をすることは、まあ、いいのかな、と思うが、教壇はダメ。
一気に教育実習生じゃなくなる。オタクの講演会になっちゃう。そこだけ注意して。いくら推しについて語りたくてもダメ。教壇はダメ。禁止。









そして、今回失念やらかしをした際。一応、楽観主義の私も人生終わったと思って少し病んでいた。

そんな時に出会ったのが、TravisJapanの松倉海斗さんだ。TravisJapanはその前から推していたが、グループ内の推しがずっと居なかった。



松倉海斗さん。ありがとう。貴方がYouTubeで前に語っていた2日連続遅刻事件の部分を私は何度も見て何度も勇気を貰った。

こんなにやらかしている人がいる。私も頑張ろう。そう何度も思えた。

松倉海斗さんに救われたのだ。松倉海斗さんが遅刻した話を聞いて、私は救われた。



きっと松倉海斗さんは勇気を与えるためにその話をしていないが、結果勇気を貰ったのだから、松倉海斗さんは私のヒーローなわけだ。ありがとう。本当にありがとう。

こんな風に感謝されるのも松倉海斗さん不憫だな。ごめんな。

でも、本当にあのエピソードに救われたんだ。ありがとう。これからも定期的にやらかし松倉海斗さんを見たい、と1ファンである私は思っているよ。




よし、じゃあ、ここらで私は推したちの溜まりに溜まったYouTubeを見てこよう。オタクは気力で教育実習も何でも乗り越えられるよ。頑張ろうな、頑張ろう!